家族の健康を守ろうシリーズ【第一話】
家族の健康を守ろうシリーズ【第一話】
白波瀬泰史
私がこのシリーズの寄稿を引き受けてからも、腸内細菌に関する新たな情報が日々公開されています。こうして書いている内にも、どんどん古い情報となっていきます。その辺を修正しながらもこれから情報公開していきます。
さて、私たち動物の胎児は母体の中では無菌状態なのですが、出産と同時に細菌、ウイルスにさらされます。感染症の戦いが始まるのですが、一方では細菌と宿主の共生関係による複雑な感染症防御機構も同時に構築されていきます。この共生関係は10億年前、我々の先祖でもある単細胞から多細胞生物に革新的に進化したときまで遡ります。
人間には腸内だけでなく皮膚、粘膜、口内などにも100兆個以上の細菌叢を持っています。これは人間の細胞数の数倍に匹敵し、どちらが宿主でどちらが寄生しているのか分かりません。細菌叢とは多数の細菌が集合したもので細菌のお花畑と言う意味でフローラとも言われます。一人当たり約3kgの菌を持っていて、菌種は1000種類を超えていると言うからビックリします。健康な人の細菌叢は一定の菌種と数が守られ、連携して宿主を守っています。その中には悪玉菌も含まれていますが、一般には容易に毒素を作り出すことはありません。外部から進入した細菌は細菌叢に入り込むと性格が大人しくなって同居するものと生育を阻止されやがて抹殺される2種類になります。宿主である我々が大きくは特定の細菌を選択しているようなのですが、末端では細菌同士の生き残り戦争が発生します。菌の生存を脅かされるような変化によっては今まで抑えられていた菌が生き残りをかけて他の菌を毒素で殺して我が菌だけを繁栄させようとするものも現れます。こうなると感染症ということになるわけです。
通常はこの細菌叢は急激に変化することはありませんが、食品、環境変化、ストレス、生活習慣により悪化する場合があります。若いときに別れて別々の生活をした一卵性双生児が成人として会ったとき、一方は肥満、もう一方は痩せていました。二人の腸内細菌を調べたところ、腸内細菌の種類がかなり異なっていて、肥満の人には肥満になる特有の細菌が見つかったそうです。また、痩せている方の便を肥満の方の腸に移植すると肥満が治ったそうです。これは宿主である人間がある程度自分の腸内細菌を気にかけてやれば健全に維持できる可能性を示しています。また、一方では腸内細菌叢の悪い人を便の移植(健康な人の便を食塩水で溶いて浣腸、チューブ、カプセルなどで腸へ送る)で直すこともできるし、将来はビオフェルミン(乳酸菌)のように特定の菌をカプセルで飲んで治療もできることを意味しています。便移植は1940年代に海外で始まりましたが長い間、日の目を見ることなく細々と承継されていたようです。それが2005年ごろから急に大学病院で治験が実施され始めました。理由はこれまで調べようの無かった腸内細菌叢に住む細菌の種類と数が遺伝子の種類と数として容易に検査できるようになったからです。それまでは「うんこ」の研究は地味でなかなか進歩のある研究のできない分野でした。科学的に腸内細菌叢の違いが遺伝子レベルで容易に解明されはじめて、今急速にいろいろなことが分かり始めました。細菌移植は国内でも慶応大学、国立有明病院などで治験が始まっていますが、難病指定の大腸性潰瘍炎の治癒率は80%を超えており、従来の薬による治癒率よりもはるかに優れています。便移植後、次の日には健常人になるという即効性もあるのです。今後、肥満、糖尿病、循環器系、精神系(鶏と卵の関係かもしれませんが腸内細菌の作り出す低分子物質が脳に関与している報告があります)などの治療と予防への適用が考えられています。また、便の移植ではドナーの選別方法、品質レベル(便の品質レベルというのもおかしいのですが)の問題もあります。最近16種類の菌をカクテルにしたカプセルによる治療の特許が日本人によって出願されていますが、J&Jの子会社であるヤンセンファーマが200億円で買い取った記事にはビックリします。遠からず薬として登場してくるでしょう。あるいは疾患治療分野ではなくヤクルトなどの発酵に強い食品会社、ベンチャー企業が医療を変えていく日が近いかもしれません。
人間の血中の低分子成分の36%は腸内細菌が作り出した成分といわれています。その中には有用な成分もあるのですが、発がん物質、精神に影響を与える物質、炎症を引き起こす物質なども含まれています。これにより、動脈硬化、精神性疾患、肝臓疾患、腎臓疾患、自己免疫疾患、ガンの発症要因となっており、腸内細菌叢を健全に保つことはこれら疾患予防と治療が期待されているのです。
ゴキブリはホウ酸団子で死滅させることができますが、ホウ酸が直接ゴキブリを殺すのではなく、ゴキブリの腸内細菌を殺すことで結果としてゴキブリは死滅します。少なくとも動物は腸内細菌を失うと生命を維持することはできないのです。しかし、マウスの胎児を無菌状態で取り出して、無菌の食品で育てると無菌マウスとなり、自然のマウスよりも1.5倍長生きすることが報告されています。しかも無菌マウスは自己免疫疾患、ガンにならないそうです。自己免疫疾患、ガンは感染症との戦いの結果として発症リスクがたかくなります。C型肝炎ウイルスによる肝臓がん、ヘリコバクターピロリ菌による胃がんは良く聞くところです。生死をさまよう心内膜炎では歯周病菌が、最近では動脈硬化巣に腸内細菌や歯周病菌が炎症拡大させている報告もあります。過度のスポーツで腸内細菌が血中に入り込んで敗血漿を引き起こす例も報告されていますので、やり過ぎは禁物です。自己免疫疾患の発症にはウイルス感染が引き金になることも少なくありません。まず感染症を発症しない、発症しても速やかに回復を図る、慢性化させないことが重要になってきます。つまり感染症を発症しないように予防する、発症したときは炎症をできるだけ小さくして早く取り除く(慢性炎症にならない)ことが重要となってきます。
炎症の主役こそ免疫システムのT細胞になります。T細胞には攻撃型と制御型が互いにコントロールされて治癒に向かいます。しかし、中には制御型T細胞が少ない人がいます。制御型T細胞が少ないと攻撃型T細胞が 優勢となって免疫が暴走し、本来の炎症部位以上に広範囲の健全な組織の破壊が起こったり、慢性化してアトピー性皮膚炎、自己免疫性疾患へ移行しやすくなります。T細胞は腸内のクロストリジウム菌の放出する酪酸に出会うことで初めて分化することがわかってきました。無菌マウスではクロストリジウム菌が居ないので分化することはありませんが、その分他の細菌もウイルスも居ない環境なので免疫機能を発動しなくても生きていけるわけです。過去、何百万人分の疾患と居住環境のデータ(ビッグデータといいます)を解析した結果、酪農で生活している人には自己免疫疾患患者が少ないという結果が出て原因を調査したところ酪農者の腸内細菌叢にクロストリジウム菌が多いとわかったのです。クロストリジウム菌は一般的な土壌細菌です。恐らく飼育している動物腸内で増幅され自然に人間の体内にも取り込まれやすい環境の結果と考えられます。
人間の生活はほんの百年前は非衛生的な生活をしていました。恐らく当時の人の腸内細菌と免疫機構は現代人よりも強固で、アトピーも自己免疫疾患も少なかったと考えられます。米国では自己免疫疾患が急速に増え、既にガンの医療費を超えています。胎児は出産後、腸内細菌との共生関係が始まり約1年(3年という報告もあります)かけて免疫機構が完成しますが、その間の極度の衛生管理は制御系T細胞の数を減らし、ちょっとした炎症でも免疫が暴走し、アレルギー、自己免疫疾患へ移行すると考えられます。帝王切開で出産した人は自己免疫疾患になりやすく、原因として母体の産道での初めての感染が無いことが報告されています。また、乳児のころにバンコマイシン(薬剤耐性菌に対する強力な抗生物質)を投与された成人には自己免疫疾患が多いことが報告されています。これらはいずれも免疫分化させる菌種が居ないか数のバランスが悪い結果と考えられます。
お孫さんが生まれて3年以内であれば、おじいちゃん、おばあちゃんが野山、海、川、畑、農場など土と接する環境へ連れ出して一緒に遊んであげてください。外から菌を運んでくれる犬や猫と育てるのも良いかもしれません。(散歩しない犬、猫はアトピーになる可能性があります)また、有機農法で育成された野菜、果実の表面にはたくさんの有用な細菌がいます。野菜の水洗いは水道水でごみ取り程度に抑え、できれば浄水で有機塩素の入った水道水を洗い流してください。洗剤は菌が死滅するので禁物です。できるだけ皮つきのまま生で食べてください。セルロースは自分のためとおもうのではなく、共生している菌のための食品と思って摂取してください。成人になっても便移植で良好な結果が得られることを考えると、腸内に有用な菌を追加したり、良い環境づくりは大人でも遅くないのです。
人の細菌叢は加齢などでも変化していくといわれています。百寿者の腸内には長命者特有の細菌が見つかっています。遺伝子のテロメア部分が長い人は長寿であることが分かっていますが、家族性の長寿者にはテロメアだけでなく家族特有の腸内細菌叢があるのかもしれません。今後の研究しだいでは誰もが百寿者になれる細菌カクテルが市販されるかもしれませんが、われわれには十分な時間がありません。そこでわれわれは毎日、継続的に野菜と発酵食品を食べ続け、腸内細菌が活発に動けるように運動して腸を動かしてあげることが最低限必要となってきます。腸内細菌を休めるために間食を避け、睡眠をとって休ませて上げることも重要です。過食と過度のストレスは腸内環境が破綻して細菌叢にも影響し、その結果が疾患発症にもつながりますので気を付けてください。特に過食は「老化」の稿でもお話しますが、細胞による代謝負荷が大きくなります。日本には腹八分という言葉がありますが、既に減食したサルで明確に長寿になることが分かっています。空腹を感じたときに長寿遺伝子のスイッチが入るようで、毎日空腹を感じることが重要といわれています。腹八分は腸内細菌にも負荷が無いと思います。
それでもいつかは宿主と細菌の共生関係が破綻する時が来ます。それが寿命です。寿命とは10億年の進化がもたらした共生関係を解消する時であったわけです。人間と細菌は一つで超生命体を形成して生きていますが、人間の生きている間に細菌は無数の代を重ねて人間に奉仕していることになります。寿命が尽きれば昔は土壌細菌として土に返っていたのが、今は火葬にされて人間も人も無機物レベルになって一緒に弔われるわけです。でも安心してください。少なくとも同じ家に生活している人は細菌も共有して次の世代に引き継がれているはずです。腸内細菌は民族差、年齢差、ベジタリアンなど食品、運動、環境で変化します。
時として細菌が血中に入り込めば敗血症、肺に入れば肺炎など真逆の結果を引き起こします。しかし、この多くは宿主の日頃の管理が悪い結果なのです。次回は口内衛生の重要性について最近の知見を報告したいと思います。